ミステリ好きはコマ図ラリーがお好き!?【DOA出走記・VOL#1】

旅とは本のようなものである。僕たちは大好きなバイクを使って、今まで知らなかった世界を知りたくて、より遠くへ、まだ見ぬ土地へとバイクを走らせる。それがいわゆるバイクツーリングだが、本もそれは同じだろう。まだ見ぬ知識、違う考え方に出会いたくて人は本を開くのだ。

面白いのは、本にも紀行文から時代物、ノンフィクションと色々な種類があるように、バイク旅にもいろいろな種類があることだ。物見遊山で見聞を広げる“ルポ調の”旅もあれば、世界一周、日本一周など明確な目標に向かって走る旅もある。中には歴史の舞台を訪ねて当時に思いをはせる、そんな“時代”的な旅が好きな人もいるだろう。そんな様々な旅のスタイルがあるなかで、推理小説ともいえる旅が、コマ図ツーリングと呼ばれるラリーイベントだ。

参加者であるライダーは、文字どおりコマ図と呼ばれる主催者から渡された“指示書”を頼りにバイクを走らせ、指定された場所で右左折、目的地を目指す。子どもの頃にオリエンテーリングという遊びをしたことがあるなら、それのバイク版と思えば間違いはない。

それのどこか推理小説なのか?
推理小説とは、読者が犯人はだれなのか?
どんなトリックが隠されているのかと期待しながら読み進めていく読み物だ。

作者と読者の間には、小説という活字の媒介があるだけ。それをだけを頼りに読者は隠された謎を読み解いていく…のだが、言葉を返せば、そこある活字は作者からのメッセージであり、すべてに何かしらの意味がある。もちろん訳の分からない伏線を張って煙に巻くなんて陳腐な内容の推理小説もなかにはあるが、正直そんな推理小説は読み手に“なんだそりゃ?”と言われて終わりである。本来、無意味な言葉など一つもあってはならないのが推理小説の世界なのだ。

そんな作者と読者の紳士協定の中で、作者は何とか読み手を欺こうとするし、一方の読者は、なんとか巧妙にしくまれたトリックを看破しようと努力する。
“くそやられた。そうきたか~!”と作者に言わされるか? “ほらね! やっぱコイツでしょ?”と言えるかどうか? そんな駆け引きがあるからこその推理小説。それが楽しいのだ。
コマ図ツーリングもまったく一緒。コマ図作者は、コマ図という、距離と地図記号と、少なばかりの情報しかない世界のなかで、最大限の知恵を使って走り手を惑わそう、間違えさせてやろうと、あの手この手を使って画策してくる。
言ってみれば、要所要所でワザとミスを誘発しようとするのであるが、面白いのはやはりそこに作者なりの美学があることだ。正直、単にライダーを迷わせたいだけなら、無茶苦茶な内容、間違った情報を与えればいいだけのこと。それだけならものすごく簡単な話だ。でも、それではライダーが迷いはするが、面白くもなんともない。参加者に“なんだそりゃ?”と言われて終わりである。

コマ図ツーリングも推理小説と同じように、“くそやられた。そうきたか~!”と言わされるか、“ほらね! やっぱコイツでしょ?”と言えるかの駆け引きが楽しめるかどうか? これが重要なのだ。

正直に話そう。僕自身、今までコマ図ツーリングにはあまり興味がなかった。知人ならともかく、見ず知らずの他人が作ったツーリングプランをなぞったところでナニが楽しいのか? 行き先ぐらい自分で決められるよ? などと思っていたのだ。

しかし、物事の本質はそこにはなかったのである。コマ図製作者と参加者の駆け引きこそが、コマ図ツーリングの最大の楽しみだったのだ。しかも、コマ図でめぐっていく旅先には、普段お目にかかれない絶景や、ダートロード、楽しいワインディングが用意されているのだから、総じて楽しくないわけがない。

今回、縁あって初めてコマ図ツーリングに参加することになった筆者だが、走り終えたころには“ようし、次は騙されないぞ! “そんな気分になっているから不思議なものだ。食わず嫌いで“ナニが楽しいの? ”なんて思っていた自分が恥ずかしいくらいの変わりようである。

世の中には、まだまだ自分の知らないことが転がっている。ようはそのドアを興味を持って開けられるかどうか? が人生を楽しくするか、しないかなのだ。 幾つになっても、そんなドアに興味を持って開けられる、そういう人に私もなりたいものである。

少なくとも推理小説好きなら、このコマ図ツーリングを楽しむ素質が存分持ち合わせている。新しい遊びの扉をそろそろ開けてみるのも、人生を楽しむ一つの方法なんじゃないだろうか?

Written by Hiroaki Yatagai, all rights reserved

 

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